私が13歳で決めたこと
今の「塩見ふみ枝」をつくった出来事がある。

それは中学一年生のときのこと。
私の通っている中学校は二つの小学校の学区を含んでいて。
ふたつの小学校から入学してきているから、同じクラスでも知らない子がいます。
そこで、担任の先生が考えたのが、席替え。
毎月月初めに席替えをしましょう。と。
入学してすぐだったから、それは私が13歳の5月の初めのことだったはず。
ひと月たったので席替えしました。
私の前の席には私とは違う小学校から来た男の子。
「これからよろしくね。」
お互いに、そう言って、下校した。
翌朝、登校すると。
私の前の席には花がいけられた花瓶が。
そう。
私と違う小学校から来た彼は
亡くなっていた。
私と挨拶を交わしたその日。
彼が学校から帰ってくると、家の玄関で刃物を持って暴れている人がいたのだと。
彼の母親の弟だった。
彼は刃物を振り回す叔父から自分の母親を守ろうとして
亡くなった。
詳しくはわからない。
でも、彼がその場で亡くなったことだけは間違いがない。
数日後、同じクラス全員で葬儀に参列したはず。
実は葬儀のことはあまり覚えていない。
その葬儀からの帰り道。
ひとりで家路をたどりながら。
考えた。
理不尽だ。
彼はどうして死んだんだろう。
何を思って飛び出したんだろう。
彼は後悔しただろうか?
自分だったらどうしただろうか?
同じように親を庇っただろう。
守りたいと飛び出しただろう。
「死」は理不尽にやってくる。
誰も逃れることはできない。
それが早いか遅いかだけ。
田舎の夜道は暗い。
田んぼの畦道を歩きながら、泣いた。
空には月が出ていた。
その月を追いかけて歩いた。
そして、その時に決めたんだ。
「明日死んでも後悔しないように、今日を生きる」
このときの私は13歳。
かぞえ歳で14歳。
立志の歳。
この時に決めたことが今の私をつくっている。
いつも明日死んでも後悔しないように生きてきた。
これからもそうするだろう。
迷うことも、つらいことも、たくさんある。
でも生き方は変わらない。
死ぬ時に「いい人生だった」と笑って死にたい。


